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孔子春秋

「孔子春秋」は2011年の中国のテレビドラマで全38話(実際はその2倍)ですが、AmasonPrimeで視聴しました。中国語の勉強のためでした。しんどかったです。

死後、弟子たちによって編纂された「論語」を生んだ儒家の始祖にして、中国春秋時代の思想家、哲学者としても知られる孔子(こうし)。 多くの名言・格言を生み、現代の道徳の基礎を築いたと言われる孔子の波乱に満ちた生涯を描いたものです。

中国の春秋時代といえば、紀元前770 年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代で、紀元前ですから単純でも2020年以上前。場所、背景は魯国、斉国、楚国など小国が領地の奪い合いの中、民衆が苦しめられている、その小国の魯で生まれ育った孔子(孔丘)は、結局幼馴染の陽虎と少正卯の二人に奔走されながら生きていく人生物語です。

そして、最後の最後まで孔子を苦しめるのは、その時々の為政者に取り入って自分の欲望を実現するために権謀術数をめぐらせる人物が少正卯でした。特に出生地である魯国の為政者(王や家老の三桓氏等をはじめとする役人)に対する権謀術数の数々は見て聞いて腹ただしくもありますが、それを信じる為政者の無知と無責任に対して、より一層腹ただしく感じました。

孔子がドラマの終盤で少正卯の策略で死の窮地に陥って辛くも生を得、捉えられた少正卯を処刑することになった時に、反対する孔子の弟子たちに対して処刑を断行しなければならない時に論じた内容が五悪であり、印象に残っています。

 

「こちらに来て座りなさい。彼を殺した理由を教えましょう」と孔子は言った。

「世の中に五種類の大悪がある。

 一つ目は、内心が正道に背き陰険であること(一曰心逆而険)。

 二つ目は、行為が卑劣にして頑固であり断固として悪を改めないこと(二曰行辟而堅)。

 三つ目は、偽りの話をしながら巧みに弁を振るうこと(三曰言偽而辯)。

 四つ目は、愚かで醜いものを記録し広く伝播(でんぱ)させること(四曰記醜而博)。

 五つ目は、間違った言行に従って行動しそれを美化すること(五曰順非而澤)」

 「このうちの一つでも当てはまれば、道理を熟知した君子による刑罰は免れない。少正卯はそのすべてを兼ね備えている。さらに、少正卯は徒党を組み不穏な動きを見せている。その弁舌は民を惑わし、反乱を起こすほどの実力を持っている」

 「湯王(とうおう)は尹諧(いんかい)を誅(ちゅう・罪のあるものを殺す)し、文王は潘止を誅し、周公は管叔と蔡叔を誅し、太公は華仕を誅し、管仲は付乙を誅し、子産は史何付を誅した。7人の時代は違うが、それらの者はみな正道に背いたため、見逃すことはできない」

 

少正卯は、この5つの大悪のすべてを備えているとして死刑に処せられますが、その後、少正卯が死の間際に残した書で孔子は、最後の最後まで少正卯に裏切られ、波乱の人生を生きることになるのです。

 

少正卯は憎むべき男として描かれていますが、彼の権謀術数にはまってしまう魯国の王や役人たちに対して、より憎しみをもってしまうほど。。。このドラマはよくできていますね。

(ただし、少正卯を良くも悪くも引用することは中国ではタブーみたいですので、あくまでこのドラマからの印象です。)

 

さて、このドラマを見ながら、現代の日本の政治、それに翻弄される国民の状況は例えればきりがないくらい数多くあることに気づかされます。

このドラマでは、為政者は「自分が政を行うことに何を重視すべきか」と孔子に説うて、そして「民のために政を行うこと」と教えを受けているのに、なぜ為政者は孔子を最終的に裏切る行為を行うのか。結局、人間の性は「権力と欲望」を求めるに帰着してしまうところが、2000年以上たった今も変わらないですね

(実際、ドラマは現代の解釈や情勢に影響されて制作されているの仕方がないのですが)。

 

あ~あ、コロナ禍の中で繰り広げられる世の中のあらゆる動静は、このドラマと一緒であるというのが、私の

ドラマ全話を見終えた実感でした。

 

そして、

老子は孔子に「あなたは大道はわかっていない」とみたいなことを説いたようですが、

私は「無為自然」、老子の考えのほうが自分の性に合っていると思いました。

まだまだ、人生を語るには修行が足りません。