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mRNAワクチンを生んだ研究者達~2

mRNAワクチンといえば、日本ではファイザー社ですが、ファイザー社のワクチンを最初に作ったのがビオンテック(バイオンテック)というドイツのベンチャー企業です。その創始者は研究者であり医師でもあるウール・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏の夫妻。2人ともトルコ系ということです。

埼玉記念病院のhttp://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/新型コロナワクチン開発〜トルコ系ドイツ人夫婦/に紹介されていましたので、抜粋します。

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内外の情報を集めてみました。経歴など細かな情報は主にドイツのSpiegel誌2021/1/2号から得ました。

夫のシャヒン氏はトルコ生まれ、4歳のときに母親と共に西ドイツに移住してきました。当時、父親は西ドイツ・ケルンに居住し自動車工場で働いていました。シャヒン氏はケルンのギムナジウム(中高一貫のエリート校)を首席で卒業し、ケルン大学医学部に進学して医師となり、ザールラント大学病院に異動しました。

2歳下の妻のテュレジ氏は西ドイツで生まれました。父親はトルコ・イスタンブール出身の外科医で西ドイツに移住後、北方のニーダーザクセン州のカトリック系病院に勤めていました。テュレジ氏はギムナジウム卒業後ザールラント大学医学部に進学して医師となりました。医学部最終学年のときにシャヒン氏と知り合ったとのことです。

2人はザールラント大学でそれぞれ腫瘍免疫療法と遺伝子多型の研究で学位を取得したのち、1990年代半ばにドイツ中部のマインツに移りました。マインツ大学で腫瘍学の研究指導を受け、2001年に上部消化管がんの新規治療薬開発のためのガニメド社を設立、2002年に結婚、2008年ビオンテック社を設立しました。なお、ガニメド社は2016年日本のアステラス製薬が約5億ユーロ(+成功報酬)で買収しました。夫妻の開発薬(抗 CLDN18.2抗体薬)を使って現在アステラス製薬による胃がんの治験が進行中です。

夫妻が一貫して目指してきたのはがんの免疫療法でした。上記の抗体薬もその1つです。しかし、がん患者への恩恵は依然として少ないままでした。成績不良の理由は、がんの遺伝子変異が常に起こっているからではないか、こうした変異に速やかに対応するにはmRNAを用いた免疫療法が望ましい、と考えるようになり、ビオンテック社はmRNAによるがんワクチンの研究を始めていました。

夫のシャヒン氏は2020年1月中旬、新型コロナのニュースを聞き、世界的大流行を予想したそうです。新型コロナの遺伝子情報が中国から発表されると直ちにmRNAワクチン作成のアイデアが浮かび、2週間後には20種類(一部情報では10種類)のワクチン候補薬をコンピュータ上で設計したとのことです。以後、ビオンテック社の研究者を総動員して実用化を目指しました。

実用化に貢献した人物として、

①2007年、夫妻の研究に賛同し巨額の投資をしてくれたストリュングマン兄弟、

②1990年代半ば、研究指導をしてくれたマインツ大学腫瘍学フーバー教授、

③2020年3月、夫妻の研究を全面的に支援し新型コロナワクチンの世界供給体制を約束してくれたファイザー社のブーラCEO(最高経営責任者)を挙げています。ブーラCEOはギリシャ出身です。トルコとギリシャの国同士は外交では緊張関係にあっても個人同士は強い信頼関係があると言われています。

私が当初興味を持ったトルコ系移民についての感想を夫妻はほとんど語っていません。人類に役立つ医学研究や医療であれば国籍や移民は関係ない、という立場です。

私が西ドイツに留学していた1986-1987年(2019/6/20ブログ)、トルコからのガストアルバイター(ゲストワーカー [移民労働者])が大勢働いていました。研究室やアパートの掃除はトルコ人女性、工事現場の下働きはトルコ人男性が多くを担っていました。建物の壁に「テュルケン・ラウス(トルコ人出て行け)!」の落書きを目にすることもありました。

当時、夫妻は20歳前後だったはず。私の目からするとトルコ人に対するドイツ社会の偏見はかなりのものでした。ドイツ人の中でさえギムナジウムや大学への進学には親の身分や職業が関係していました。トルコ人ならなおさらだったと思います。結局、優秀な人材は、移民であろうがなかろうが関係ない教育環境が当時の西ドイツ、その後のドイツにはあったのだろうと思います。

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国籍に関する偏見は日本にも根強く残っています。そんな報道が接する度に残念であり歯がゆく思います。

このような例を知ると、同じ社会で生活していながら偏見にもまけず、人の役に立つ研究や開発をされる方々、社会に貢献いただいている方々には頭が下がる思いです。